第3回ノミネート 2012
No.3 末永美紀子
”情熱がつなぐ医療と社会。共生への10年”
現在の職業:
ちっちゃなこども園にじいろ
推薦文:
「あなたと合いそうな人がいるのよぉ〜〜」息子の診察で訪れた小児科の女医さんからそういわれたのが10年前。当時、末永さんは、その小児科併設の病児保育室の立ち上げに関わっていた。事業を立ち上げる程の看護師と、地味な専業主婦の私が「合う」って、どういうこと?
興味津々、彼女のマンションに行ってみると、ダイニング横の小さな和室で、小さな子どもと保育士がまったりと遊んでいる。聞けば「大学病院やこども病院で、看護師をしていたとき、キャリアを積んだ先輩看護師や女医さんが、育児との両立ができずに次々辞めていくのを見て、患者さんにとっても社会全体にとっても残念なことだと思った。こども病院に通院している医療的ケアが必要な子どもや、障がいがある子どもは、母親が1日中世話をして当然、と言われてしまうことにも、疑問がある」と末永さんは言う。「お母さんお父さんを応援したい。みんなが一緒に育ちあえる保育所がないなら、作ればいい!」と0歳の長男に乳をやりながら、彼女は熱く熱く語った。現在は、先の女医さんが紹介して知り合った、心疾患があるお子さんを保育士と一緒に保育しているとのことだった。
それから数ヶ月後には、近所に一軒家を借り、彼女は家族でその家に移り住んで、「ちっちゃな保育所」をオープンした。その名の通り、定員12人で家庭的な保育所。昼食、おやつはもちろんのこと、夕食も手作り。夜8時30分まで開けていて、お風呂にも入れてくれる。健康上の不安が何もない子どもも、医療的ケアが必要な子どもも、障がいや病気があるかどうか、まだハッキリしない子どもも、みんな一緒に兄弟みたいに過ごしている。
医療的ケアが必要なお子さんのお母さんが「私が1日中、看て当然だと思ってきました。でもこうして安心して子どもを預けることができて本当にうれしい」と話すのだ。核家族化が進む日本で、子育て中のお母さんの誰もが皆、自分だけの時間もすごく大切だと知っている。でも障がいや生まれつきの病気があったり、医療的ケアが必要だったりすると、月に1回、2〜3時間の自分の時間さえ、遠慮しなければならなかったり、そもそも一時保育の場がなかったりするのが現状だ。
末永さんの言う『共生保育』の意味が、何となくではあるが、初めて分かった瞬間。
「この子も、この保育所が大好きで、子どもは子どもとしての関わりが持てます。健康な子どもさんと、ごく普通に一緒にいられます。これは、この子にとって、とても大事なことだと思います。親の手から離してみて、改めてこの子の生きる力を感じることもできました。家では、つい過保護になってたんだなぁ、なんて・・・」
それから数年。NPO法人化し、これまた自宅と合わせ技の新園舎を建て「ちっちゃなこども園にじいろ」として新しい出発。順風満帆な印象とは裏腹に、逆風がピューピュー吹いていた。
彼女の熱い思いは、スタッフさんを燃やしてしまうほどだったのだ。NPO界の重鎮と言われる人に「末永さんは本当に勉強が好きですねぇ」と言わしめるほどの勉強家&努力家でもある。登山で言うなら、エベレストを普段着で駆け上るというか・・・。事業拡大したものの、スタッフとの溝が深まってしまっていた。
そのような中でも、彼女は医療的ケアや配慮が必要なこと、障がいがあることが理由で、近所の保育園・幼稚園・学童保育に入れなくて困っている人がいれば、まずはとことん話を聞く。にじいろにも定員という限りがあって、受け入れるのが難しくても、そのお子さんに合った医療機関や、入所できそうな保育園、制度や制度外サービスをやっているNPOを紹介する。とにもかくにも、困っている親子さんがいたら、放っておけないのだ。
「にじいろ」は認可外保育施設だから、税金から補助金は出ない。でも、しばりがないので、学童さんも一時保育も、必要な人に必要な保育を提供できる。行政に不平不満を言い続けるよりも、いかに助成金や補助金がもらえるかを考えて、徹夜しながら申請書を書く。そして、髪の毛は、はねている。
私が最もスゴイ!と思ったのは、両親に「なぜ、医療的ケアが必要になったのか?」とか「何が原因か?」とは、こちらから絶対に尋ねないことだ。他の福祉制度を利用しようとすると、絶対に、最初から『病名』とか『障がいの程度』を尋ねられて、書類に書くように言われる。でもこれは、親にとっては、小さいけど積み重なってしまう辛い体験だ。
末永さんは、入園書類に障がいや病名が書いてなくても、別に構わないと言う。「子どもの今を見せてもらって、将来を見据えて、今、もっとも必要なことを考えて提供する」のだ。何があればできるかを考える。無いものは作ることを考える。そこに妥協はなく、徹底的に考える。保護者とも話し合う。そしたら、自然と詳しいことを教えてもらえる。医師にもドンドン質問する。彼女の共生保育へのこだわりは、ハンパではない。
そうして10年が経った。彼女の熱さは、今、相手を温めるくらいになってきていると思う。でも最近、思う。あの情熱と気合いがなければ、大切な子どもの命を1日13時間半、週に5-6日も預かり続ける事業を立ち上げ、続けることはできなかったのではないか。たった今、保育を必要としている親がいて、地域の子どもと一緒に育ちたい子どもがいるのに、彼らが入れる所はホントにわずかだ。そういう施設が3年先にできるのでは、彼らにとっては、もう遅すぎる。「今、とにかく、欲しい」に、彼女とスタッフは、全身で応えてきた。
「私たちは『しょうがいの世界』にいて、がんじがらめで他の世界とは高い壁で隔てられていたような気がする。でも、ここに来るようになって、その壁が低くなったように思います」って言ってくれるお母さんがいた。
地域にひとり、末永美紀子みたいな看護師がいたら、世の中がもっと優しくなるんじゃないかな。2012年、今度は次男に乳を与えながら、西に東に奔走している彼女を応援していきたいと思う。